AtCoderで水色になりました(入水記事)

IT・プログラミング

AtCoderで入水したので、色変したら記事を書くという、普遍的な法則に則り入水記事を書いていこうと思います!!!!

水色になるためにやったことや覚えたアルゴリズムといった実践的なことについては、他の方々が説明してくれているので、今回はその補集合について語ります!!!!!!

※ 補集合といっても、ねこ、座布団、セガサターン、ミカヅキモ、おこづかい帳、バチカン市国、液体窒素、週刊誌、消化器系、ミソサザイ、チャイルドシート、釈迦三尊像、瞬足、Anitube、緊急脱出用出口、レレレのおじさん、大憲章、カヤック、千歯扱き、感情、陸軍の統帥権などは含まず、あくまでも「一般に入水記事に書くこと」を全体集合とします。

※ 「他の方々が説明してくれているので~」は嘘で、書いてたら僕の人生とか思考の話ばかりになってしまったというのが真実です。

自己を紹介する

この間まで、予備校で浪人生をしていましたが、様々な葛藤があり、大学に行かないことを選んだ19歳です。(ちなみに好きな言葉は「寝る子は育つ」、「閑雲野鶴」です。)

これは高校生の頃から薄々考えていたことですが、大学に4年間もしくは6年間というそれなりに長い期間通って、そのあとにそれをどう活かすのかということがあまりピンとこず、「大学→就職」という進路で本当にやりたいことができるのだろうか?と思っていました。

そんな中、競技プログラミングというやっていてとても楽しい趣味を見つけることができ、徐々に競技プログラミングのレートを評価する企業も増えているため、そういうことに時間を費やしたいと思うようになりました。

もちろん、その方向で食っていくのは難しいと思いますが、個人的な優先順位が、

競プロやってそれを活かす→ 農家としてのんびり生活 →大学行って就職

となっている今日このごろです。

予備校生活を始めて2ヶ月ほどで、現代社会のスピード感が嫌になってしまい、その反動で画像のようにひたすら畑を耕したくなります。理想は周囲に畑しかないような場所で縁側がある古民家に住むことです。更に言うと、毎年さまざまな土地でさまざまな作物を育てたいです。他にもバックパッカーになって世界を旅したかったり、引き続き競プロをしたかったり、競技数学をしたかったり、Kaggleをしたかったり、ゾミアで脱国家をしたかったりする今日このごろです。
また、最近は競プロの経験を活かして働きたい && 東京に住みたいとも考えていたりします。

AtCoderとの出会いから入水まで

AtCoderを本格的に始めたのは高3の秋に知人に勧められたのがきっかけでした。当時はPythonエアプくらいの知識量でしたが、アルゴ式で計算量の概念を知り、動的計画法について学んだ時にはすっかり競プロにハマり、そのまま鉄則本を一周しました。

その頃は受験生の勉強時間並みに競プロに時間を費やしていました。ぜんっぜん分からない問題もあったし、デバッグで途方もない時間が溶けたりもしましたが、僕には「他の人が解ける問題なら、絶対に自分にも解けるようになるはず!!」という一種の思い込みがあるため、そこで挫折しなくて済んだのだと考えています。

そしてこのツイートの翌日には水色パフォを取ることができ、完全に「競プロ万歳!No 競プロ,No Life!!」だったのですが、唐突に飽きが訪れ、春まで放置してしまいます。
(意図していなかったものの、秋(飽き)→春となっています。)

AC数の推移

今までの人生もそうだったのですが、僕は非常に飽きやすく、競プロを始めてからおよそ一年、毎日ACをするほど本気で取り組めているのは、画像のように限られた期間のみとなっています。

しかしながら、これでも僕にとってはかなり継続している方であり、基本なんでも最初にハマって飽きたらそこで終わってしまいます。

また、レートにはあまり拘らないという思想で生きています。
(※ こんなことほざいていますが、このあとレートについて2回言及しています。)

現在の僕のレートが上がっても下がっても結局、現在の僕の実力はレッドコーダー(もしくは暖色コーダー)の実力には到底及ばないものであるため、「もっと精進しなければならない」という話に帰着します。

また、「楽しくないな」と感じるとすぐに距離を置いてしまうため、「楽しく競プロをする」ということを優先しており、その目的を達成するためにもレートには拘らず、「このアルゴリズムおもしろいな」とか「この問題おもしろいな」といった喜びを重視しています。

(とはいっても色変すると嬉しいものです。)

そして、飽きてからなんやかんや春に再開し、入緑するものの、ご覧の通りすぐに茶に戻ります。

茶に戻ったのはARCで0完してしまったことが原因でしたが、このときは流石に凹みました。
顕在意識で「レートには拘らない」という思想を掲げていても、潜在的な感情には抗えないのが世の常です。

この時期はようやく競プロを再開したものの、すぐに予備校生活が始まり、コンテストになかなか参加できなくなり、「競プロをしたいのにできない」という状況に葛藤します。

当然、「予備校に毎日通う」という行為は将来的に幸福をもたらすのかもしれません。
しかしその行為により、今現在の幸福を確実に損ねることになります。

例えば、「今は一生懸命働き、老後に快適な生活を送ろう」という人が居た場合、そのストラテジーが真に有効となるには一般にその人が、「老後」まで生きており、かつ「健康である」、かつ「費やした時間・労力に見合う幸福を得ることができる」ことが条件となると考えられます。

しかし、近年のCOVID-19のような感染症や、地震等の災害を踏まえると、日常の急激な変化により、その条件を満たせなくなることは往々にして考えられるため、「老後の快適な生活」は保証されたものではありません。

こうした思考はCarpe diemを背景とするものですが、他にもこの時期は死の舞踏の影響も受け、「常に正直にやりたいことをやって生きるようにしたいなー」と考えるようになります。

「未来になにかをしよう」というのは一種のしがらみでもあるので、そこから自由になりたいという思考の現れかもしれません。

当然ここらへんの価値観は複雑で、「何を幸福とするか」によって変わるし、努力によって得られるものというのもあるため、まだ結論は出ていませんし、出なくていいと思っています。

その後、予備校を辞め、10月11月には人生で一番と言っていいほど競プロをします。

この時期は水色、青色を中心に解いていますが、青色の問題はやはりかなり手応えがあり、1問に半日を要することもありましたが、そうやって考えまくった上でACできるのはなんとも言えない喜びがあります。

この時には約1ヶ月、水色 or 青色 streakをすることができましたが、途中突然streakが途絶えたのは、毎日青色streakを続けることが「楽しみ」としてではなく「義務」として行われているように感じたためで、そういう時にはやはり継続することができません。

しかし、この期間ひたすら問題を解いていたおがげで、この後入水した上に青perfを2回出すことができ、1297までレートが上がりました。

またこの頃は、Meta Hacker Cupで人生初のコンテストT-shirtをいただくことができました!

MHCの問題は、ARCチックになっており非常に考察が楽しかったです!

1つ致命的なミスをしてしまったので共有しておくと、MHCではAtCoderと異なり、コードを提出するのではなく、入力をダウンロードして手元で実行し、出力を提出するのですが、それをwindowsで実行すると、ファイルの入力が非常に遅く、問題を1つ逃したため、Linuxのターミナルを用意しとくのをおすすめします。

さいごに

僕は非常に飽きやすく、現在も2ヶ月ほどコンテストに参加できていません。
(参加したい気持ちは山々ですが。)

そうやってコロコロやりたいことが変わったり、思想が変わったりはしますが、その時感じたこと、考えたことに正直に生きたいと思っています。

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